キイロイトリらぼ

ぬいぐるみと一緒に生きていきます

ゼロからのos自作入門 edkのbuildでエラー

第二章の 「EDKⅡ入門とメモリマップ」のedkのbuildでエラー

こちらの技術本で手を動かして自己研鑽をするつもりがエラーが出たのでくじけた話
こういうのは理解するよりも先に進めればいいこともあるのだが
ここまでが環境設定の基本のようで試しに第三章をやってみても同じエラーで諦めてしまった

環境

Windows 10にWSL2のUbuntuをインストール

やったこと

本の通りにEDK II付属のbuildコマンドを用いてビルドした

結果

下記エラーがでる

build.py...
: error 7000: Failed to execute command
make tbuild [/home/tokage94/edk2/Build/MikanLoaderX64/DEBUG_CLANG38/X64/MikanLoaderPkg/Loader]


build.py...
: error F002: Failed to build module
/home/tokage94/edk2/MikanLoaderPkg/Loader.inf [X64, CLANG38, DEBUG]

  • Failed -

Build end time: 00:59:24, Apr.09 2023
Build total time: 00:00:01

どうあっても第二章の最後のLoader.efiが出力されない

似たようなエラーが出ている記事もあったので参考にしたが同じエラーになるくらい
https://zenn.dev/kanekou/scraps/8084c46905e7f9

できていること

EDK IIでMikanLoaderPkgをビルドする設定まではtarget.txtで編集している
第1章はなんとかできた

心が折れた

折れるには気が早いが、エラーと格闘する頃には熱が冷めてしまった
もともとプログラミングの勉強を兼ねて、手を動かしつつも面白そうと思って始めたところで
写経するだけでもうまくいかないとなるとやる気が無くなる
こういうときは環境を一から作り直すものだが冷めた

ビジネス手帳の変遷

 

 

 

サンエックス90周年 うちのコたちの大展覧会 記録

唯一の行動指針

コロナ禍とは関係がなく、私は基本出不精である。
旅行はけっかしたらしたらで楽しいとは修学旅行などでは分かっているが、一人では行動に起こすことがまだできない。
友人とであれば計画時点でも十分楽しめるが、一人でだとそうはいかない。
さらには、旅行当日にやっぱりそうでもないな、となってしまう。
そうなってしまうのは一人ではある程度行動がコントロールできてしまうがゆえに想像通りになってしまうことなのだろうか。
複数人であれば、人同士の化学反応というもので、旅行をしたからこそわかったことや計画外のことが想像できるが、
一人では自己解決してしまう。
そんな虚しい性の自分にも、ふと行動を起こしたくて仕方がない衝動になるトリガがリラックマ関連のイベントである。
限定品グッズというのは住んでいる周りにはないことが多く、その殆どが東京にあるゆえ、
何度か遠征と称して東京まで思いつきでいくことは自然としていた。
そんな中、ただの年に一回の規模ではない90周年イベントと来たら行くしかないのである。
いざ銀座へ。

うちのコたちの大展覧会とは

サンエックスの創業90周年を記念して、たれぱんだリラックマ、すみっコぐらしを中心に、
キャラクターの原画などの資料が展示されるイベントである。
みどころは、今のたれぱんだたちの姿だけでなく、初公開ともなる初期設定や今の姿になる過程の資料もあることである。
san-x90th-ten.exhibit.jp
サイトでもある程度資料は見れるが、実物を見ると質感が伝わってきてとてもいい。
もう東京では終了したが、北海道で10月27日から開催されるようだ。
大阪や名古屋のような拠点でも、と思うが、次回の100周年?に期待である。

ぬいぐるみとものづくり

展示物はどれも素晴らしかった。
来た甲斐があったものである。そろそろ博物館のようなものができてほしいものだ。
以下感想である。

私はいわゆるメーカーでものづくりをしているが、当然ぬいぐるみもものづくりされてできている。
そしてぬいぐるみも会社の中では設計されているのだと感じさせられた。
いろんな業務に忙殺される中、図面の確認をしているときは、イヤイヤしていることもあるのだが、
ぬいぐるみの図面なら癒やされること間違いなしである。
いや、それは、ぬいぐるみを仕事として扱っていないから言えるのであって、中の人達も時にはこの可愛らしい顔がプレッシャーに見えてしまうのだろうか。

こんな図面なら何日でも作り込める気がする

この指示書が回覧されるのも面白い。

"こうなるのは避けて"がとてもワカル指示
幾度の承認を乗り越えた猛者のトリ

最終サンプルということは、最終関門、すなわち、大きなイベントの中でお偉方の会議の元、承認と宣言されたのであろう。
逆に、撤退を余儀なくされたサンプルはどうなってしまったのであろうか。
棄却を宣告するお偉方の心中や如何に。
自分なら可哀想でそんな事言えない。

マイぬいぐるみも馴染む場

"ぬい撮り"という言葉が私にとっては普通だが、世間的にはどうなのだろうか。
文字通りぬいぐるみを写真で撮るなのだが、私のスマホの写真フォルダはほとんどぬい撮りである。
自分自身を撮る自撮りはほぼしないし、友人のことを撮影することも案外ない。
かと言って風景画だと虚しいので、最近はぬい撮りをすることで味を出している。
普段遣いのカバンに巻取リールをつけてキイロイトリをぶらさげることで、瞬時に手にすることを可能にしている。
だが、ぬい撮りする、と決めたあとのシャッターを押すまでの時間は羞恥心との戦いである。

一瞬の気配を気取りシャッターを押す

まだまだ修行が足らない。

展示会での面白いポイントは試作品がいくつも展示されていることもあった。

"初号機"か"量産型か"…

個人的にはずんぐりした初期のほうが好みである。
こういうのは、原理派のような立ち位置の人が社内にいて、その人達は量産型への改良を受け入れていくことになっているのだろうか。
消費者アンケートのようなもので量産型のスタイルが好まれているならわかるが、
改良するに当たりどのあたりの意見を尊重して取り入れるのか気になる。

今後の推しキャラはたれぱんだ

個人的にたれぱんだはまだまだ可能性の塊と思う。
いろんなパンダキャラは数知れないがたれぱんだはキャラが確立している。
そして何体いても不思議でない世界観がすでに描かれている。
普通のキャラは世界観に一つであるが、たれぱんだ世界では犬や猫と同じカテゴリになっている。

体調は5cm~3mと個体差がある。分裂して増えるといううわさもある。

なのだ。
ぜひ、一生をかけて生態を研究したい。

皆さんご存知たれぱんだの生態

だが、現在グッズとしては展開は少ない。
この展示会で限定グッズは出たが、小さなたれぱんだのみ。
個人的には"もーちもちクッション"となって欲しい。
自宅にLサイズ3匹、特大2匹がいるが、Lサイズを所望する。
こちらのような光景を再現させて遊びたい。

早くこれになりたい

同じものでも買いがいがあるジャンルなので損はないと思うのだがどうなのだろうか。

社会人博士への道のり

概略

2018年1月,私は社会人1年目の冬に博士進学をすることになった.
それから,社会人2年目とともに,博士後期課程1年生を迎えることになった.そして,平成31年3月に博士(工学)として卒業することができた.
あっという間の1年であったが,どういうふうに過ごしたかを記録する.

2017年10月

指導教員の先生から雑誌論文採択の連絡が来た.大学院は2017年3月に卒業をしているが,修士論文の内容で雑誌論文に投稿することも並行して行っていた.8月の夏休みには研究室に足を運んで,直接指導を受けながら修正をしていた.その論文が採択されたのだ.普通は論文採択というのは嬉しいものだが,この当時は,社会人1年目で配属して間もないこともあり,今更学業のことを持ち出されてもと思い少し白けてもいた.しかし,この採択はかなり大きな意味を持つものだった.これによって,博士後期課程の早期卒業の条件が揃ったのだ.
博士課程の卒業要件は各大学,各学科でも異なるが,ともかく,自身の所属学科では要件が揃っていた.これは,自分が終了する前にも散々聞かされていたことであった.
自分の大学院時代は修士卒として就職をするか,博士進学をするかで悩んだ時代でもあった.
自分はもともと博士進学に関心のある方ではなかった.博士進学をする人で共通しているのは,もともとアカデミアに関心のある人か,かっこいいからとか,なんとなくとか,研究が好きだから,といったロマンティックな思想を持っている人ばかりだった.そういう人が多く周りにいたことは自分に結構大きな影響を与えたと言えるが,自分はそういう思想を受け入れることは難しかった.博士進学をする人のパターンには上記の人以外に,指導教員に進められたからというのもある.自分はそのタイプである.指導教員に進められる人は結構多かったが,実際に進学した人は少なかった.自分はその中でも,進学してもいいかなと思った方であるが,自分の当初の人生設計にはない方向転換であることに受け入れられず,とうとう断念することになった.
指導教員の先生はあらゆるパターンで説得をしてくれたが,その一つに,社会人から戻ってくることもあった.
そのための条件や,大学にはどれくらい通うか,イメージできるくらいにレクチャーしてくれた.その当時は,あまり真正直には聞いていなかった.就職すれば,そのまま次第に忘れ去られるとも思っていたからだ.
しかし,そこはさすがとも言えるのだが,しっかりとお膳立てをしてくれていた.
論文採択が完了した後は,博士進学を悩む障壁は殆どなくなっていた.さらに,当時は社会人1年目特有の自分の技術力のなさだとか,この先大丈夫なのか,と実際の業務を目にしてから,漫然と不安を覚えたことが功を奏した.自分には取り立てて技術力がある方ではないことを自覚した以上,自分に何ができるか,周りと違うことができるかを考えたときに,博士進学を選んでもいいのでは,ということはタイミングよく受け入れることになったと思う.
しかし,実際には雑誌論文の採択の連絡と合わせてきた進学への誘いは,その場では返信しなかった.
また葛藤することになった.

2017年12月

論文採択から1ヶ月位したら,指導教員からリマインドが来た.
内容は結構な説得だったと思う.一応元先生と学生との関係とはいえ,このときは.一社会人としての関係を意識してしまい,お気持ちを無碍にすることがかなり失礼なのではと思うようになった.
とはいえ,進学してもいいとも思ってもいたのだが,口でいうほど道程は険しいことは明らかだった.
まだまだ本業の仕事は慣れず,日々残業で余裕はなかった.さらに,母校に通うにも半日かかる距離があった.
イメージすればするほど,疲弊していくのは目に見えていたが,一方で,自分の自信のなさのほうが勝っていた.悶々とした年末を迎えることになった.

2018年1月

とうとう,指導教員から電話が来た.
やはり,コミュニケーションというのは,メールよりも電話,直接の会話なのだろう.
もはや,これまでとも思い決断した.これは,決して折れた,とか急かされたわけではない.
人はよく迷っているといったときの殆どは,実際には迷ってはいない.後押しがほしいだけなのである.
YESといった後は,それはそれは血の気が引くような思いと同時に,興奮もした.
そんな情緒不安定なこともしているまもなく,年明け早々に入学手続きに追われることになった.
当時の日記にはこのときの思いをこう書いている.

もったいない、とは言われて、それでもやりません、とは言えなかったのには、
自分の数少ない資質がここで失われてしまうことに虚しさを覚えたからだ。自分が得意なこと、なんてこれから先いくつできるかはわからない。しかし、これだけ周りの、そして、尊敬する人たちに目をかけられたことに、自分はもっと感謝をするべきなのだろう。もう少し自分を信じてみてはどうかと思った次第なのだ。

入学試験に必要なのは,口頭試験用のスライド,それに準じた研究計画とこれまでの研究実績.
そして,検定料の支払い30000円,必要書類の送付であった.口頭試験用のスライドは試験日まで準備ができるが,必要書類はほとんどその日のうちに用意をする必要があった.明日明後日で会社に出社するというのに,コンビニで検定料を支払い,必要書類をコピーして郵送をすることに手間取ったのを覚えている.
試験日は2月1日.それまでに口頭試験用のスライドを作成して,練習をしなくてはいけない.
平日は殆ど定時で帰れなかったため,土日はずっとスライドの準備をした.

2月

入試日は平日だったため,有給休暇を使う必要があった.
試験前日は無理をして定時で退社し,空港に向かった.飛行機のほうが安く,早く到着ができたのだ.
国内線を使うのは久しぶりだったので,パスポートがいらないのは新鮮だった.到着してからホテルに移動して,時間が許す限り,スライドの発表練習をした.何かを練習するなんていうのは久しぶりだった.会社でも研修で発表の機会はたしかにあったが,博士進学の入試や予備審査,本審査の比ではない.そう思うと自分は結構平穏に働いていたのだなと思ってしまった.
口頭試験はスライドの発表である.
これからどんな研究をしていくのかを教授たちに説明するのである.
自分の場合は,修士で研究をしていた内容のアップデートだったので,修士での研究にどのような課題があり,こうすれば,解決できる,と説明していった.
今思えば,それなりに説明はできたと思うが,実際にできるのかで言えば,怪しかった.
自分の研究は実際に物を動かす必要があったため,社会人として,この計画を進めていくことは贔屓目に見ても不可能であった.本当に学生として入学したほうがまだ説得力があった.
ただ,ここで言う研究計画というのは,助成金をもらうとか,そういう目的とは異なり,受験者が博士学生としてやっていけるかを見ていることが主体である.そういった本音の部分は教授陣に細かく質疑応答することでなんとか乗り切ったと思う.
受験後は休むまもなく帰宅し,次の日は普通に出社した.

その2週間後に合格通知が来た.
いよいよを持って社会人博士としてやっていくことになった.
安堵と不安が入り交じる中,入学金の振り込み案内で目が覚めた.
入学金28万円を入金しないといけないのだ.
ボーナスを貰っていたとはいえ,結構な大金である.しかし,やっぱりやめた,とはできず,
自分はボーナスをこれから博士学生生活に費やすことになる.

3月

実際に入金をしたのは3月はじめ.
郵便局というのは平日しかやっていないところが多く,有給休暇を取らないと動けないのは結構ストレスである.

4月

入学式当日は悲しいかな,業務のため休暇を取れなかった.
今思えば本当に無理だったかは思い出せないが,こういう記念日を現地で体感しないというのは,モチベーションに大きく影響すると考える.
確かに,ただの儀式には他ならないし,数年前に一度体験したことがあるものだから,と考えるのも無理はなかった.
だが,当時は先行きもわからないままに,社会人博士を目指した最初のイベントである.
見知った先輩方や先生方と英気を養うだけでも,これからの時間の覚悟を感じられたであろう.
後で思い知ることになるが,社会人博士というのは,孤独との戦いであった.
何しろ,会社の周りには相談できる人などいない.
学生時代ならふらりと研究室に来て,周りの人たちと雑談でもできたが,遠隔地で通うことからできない.
これから社会人博士を考える人への助言の一つとしては,儀礼的なものとはいえ,入学式は行った方がいい.

また,この時期は,研究活動の環境整備に苦労した.
なにせ,当時研究をしていたPCではないため,殆どがイチから用意し直しになった.
Officeを入学時のアカウントで入手し,matlabを研究室のサーバで使えるようにした.Tex環境もイチからTexliveで用意した.Illustratorだけはしょうがなく契約をした.
学生時代はこれらの環境は研究室にあやかってあまり苦労せずに用意できた.研究室PCにどんどん環境を入れていた.
開発環境を整えることの苦労は結構学生時代でもしてきたつもりであるが,会社ではほとんどOfficeしか触らないのであまり役になっていない.開発ツールもググっても出てこないようなニッチなものを使っている.もちろん開発用のデバイスに依存するものであるとはわかっているが,学生時代に培ってきた素養と会社で必要な素養は結構乖離があることを実感した.

社会人博士として大学に来れたのはGW初日であった.
学生証の受け取りを筆頭に指導教員と研究の相談をする時間となった.
自分でもある程度検討していたつもりだが,直接相談してみると,今回の挑戦の困難さを突きつけられた.

5月

自身の会社ではGWが10日にも及ぶことから研究活動に当てるのにはもってこいだったはずだが,
学生証を受け取った初日以外は素直に大学から戻ってGWをただただ過ごしていただけであった.
今思えば,ホテル通いでもして研究室に通いつめるくらいはしても良かったはずである.
自分が自宅で研究を進められるタイプではないことを十分にわかっていたはずだが,甘えがあった.
これも他にプライベートが充実していたらまだ養護できるものの,帰省もせず,ただ苦学生を演じていただけであった.
その要因でもないが,GW開けすぐに海外出張が決まっていたことがあったと思う.
中々タフな業務には違いなく,その出発前くらいは休んでおきたい,という考えがあったのだろう.
だが,研究が進んでいない,という状況そのものが精神を蝕むのだから,社会人との二足のわらじだからこそ,
できる時にやらなかったことの後悔のほうが自分を苦しめることに気づくべきであった.

ここでの教訓は社会人博士たるもの,長期休暇の過ごし方も計画すべき,である.

6月

中々残酷なことに,5月は2週間も海外出張があったため,研究が全くと行っていいほどできなかった.
その上,単位取得という壁も立ちはだかる.
取得に必要な授業は予め融通の聞く土日などで充てがっていたが,
それ以外に必須の研究発表の単位があった.
内容そのものはこれまでまとめてきたものを授業用に整形することで賄えるものであったが,
専用のスライドを作成するうえ,発表練習も必要である.
学生であれば,所属の研究室で発表練習を何度か経た上で臨むイベントでもあるのだが,
社会人博士の自分は当然そういう準備も省略になってしまう.

研究発表の準備はなんとか拵えて当日を迎えたが,
何と当日の朝駅で移動中に震度6の地震が発生してしまった.
新幹線が動くか動かないかを毎分気にしながら,指導教員の先生とやり取りするすり減る時間があった.
結果,新幹線が復旧しないことがわかり,スカイプで遠隔での発表となった.
今でこそ,オンラインでの発表は当たり前になったが,
当時はまだ前例があまりなかった.
他の学生は現地で発表している中,自分だけが自宅から配信するという,時代に先んじた発表となった.
思えば,これができるくらいだったら,極力スカイプで良いのではないかと思ったくらいである.
何しろ,当日のスケジュールは朝新幹線に乗ったあとは,大学について研究発表をして,すぐ帰らないと,次の日の業務に出れないくらいにタイトであった.
物理的距離の成約は自分が選んだ職場の都合上しようがない.

だが,オンラインがここまで発達した今の環境なら社会人博士にとってはいい傾向である.

7月

驚くなかれ,ひと月前に研究発表をしたというのにもう一回をしないと単位が取得できないのである.
だが,それも内容はそんなに困るものではない.
前回こそは久しぶり出会ったこともあり,まとめ方に苦心したが,
大凡勘をつかんだのか,準備はスムーズにできていた.
今回は発表は現地にたどり着いてできた.
その上,研究室の面々にも会うことができた.
当時学部4年生だった人たちも,修士2年になっており,就活も終わっているようだった.
誰々がどこの企業に行った,というのは野暮ではあるが面白い話である一方で,
自分は中々就活は彼らほどできていなかったな,と思い知らされることにもなった.

印象的だったのは,私が研究室に顔を出したとき,出張と言うかたちで来ていると思われたことである.
いや,有給を使って自費で来ている,というと顔を曇らせていた.
確かに企業によっては,会社の制度で学位取得ができるのもあるが,
有給を使って学位取得をしに行く人はかなり少数派だろう.
この手の話が美談に聞こえるかどうかは分かれるだろうが,
一つ言えるのは,身銭を切って進学をしてたからこそ,後に引けない,というものあった.
会社がお金を出してくれる,という状況で,同じパフォーマンスが出せるかどうかでもある.

2回目の発表を終えるといよいよ博士論文をまとめる段階になった.
こればかりは初めてのことなので身が引き締まったのを覚えている.


8月

業務との二足のわらじもそれなりに慣れていた頃かもしれない.
その中でまた長期休暇に入った.
残念ながら,また思うような社会人博士生活とはなっていなかった.
帰省はしたものの,当然,実家で執筆がはかどるわけでもなかった.
プライベートとして貴重な友人との交流の時間に割けたことは悔いはなかった.
だが,なぜか友人との会話の中で自分が社会人博士をしている,ということは話さなかった.
話が伝わらない,という間柄ではないのだが,どこか気取ってしまうのではないかと心にしまってしまった.
確かに楽しい話ができるわけでもないのだが,そこは,私の話のスキルがないだけであった.
ただでさえ孤独な挑戦である.
当時の自分にアドバイスするならば,自分がそれなりに大きな挑戦をしていること,そして,それがやっぱり大変なんだ,
ということくらいは打ち明けても良いものであった.

あまりにも博論執筆がはかどらないので,
実家のショッピングモールのフードコートでパソコンを立ち上げて書くまでもした.
意外とその時は捗ったものであるが,帰省をしているというのに気分は憂鬱で仕方がなかった.

長期休暇はお盆の期間だけであっという間に終わったが,大学生にとっては8月いっぱいが休暇という羨ましい制度でもある.
この時期には集中講義が多く開講されていたのだが,中でも,博士の学位を取得した人の講話の授業があったようである.
これは,当時,いや,今の自分でも欲していた知見でもあり,この講座に登録できていなかった自分をかなり呪っていたのを思い出す.

こういう授業の履修一つとっても相談相手が限られるというのも社会人博士の辛さかもしれない.

9月

予備審査の準備に追われる

意外かも知れないがこの時期くらいには必須単位の習得はほぼ終わっている.
残すは博士論文のみである.
これも書けば終わりでは当然なく,審査がある.
11月に予定されたのだが,必然的に,博士論文の大凡を10月には書ききらないといけないことを突きつけられる.
これまでの活動でだいぶ平日は業務,土日は執筆というスタイルを確立してきたので,時間に関してはなんとかなると思ったが,
何しろ審査というものの感覚がほとんどわからなかった.
修士の時代に先輩の予備審査に何度か出たことがあるのだが,
このときは60分発表して,60分質疑応答をしていた.
とても自分で耐えれる気がしない.
これが,研究室所属の学生なら,練習の機会も何度か調整が効くのであろうが,
ここが社会人博士の辛いところである.
行ける日を見繕ってそれまでに仕上げないといけないのだから.

10月

未知の世界である予備審査用のスライドづくりに奔走していた.
何しろ60分のスライドである.
確かに説明しようと思えばそれくらいの量になったのだが,これをスラスラと説明するには何度練習が必要なのか目眩がしたものだ.
それだけでもいっぱいいっぱいなところに,更には,会社の研修も追加されていた.
これが意外と厄介であった.
会社の研修でも発表があるのだが,研究よりもネタに困った.
何しろ好き勝手なネタはできないし,業務で扱った課題を持ちいらないといけない.
悲しいかな,二足のわらじが三足目になり,流石に疲労が見えた.

この時期は業務に研修にと盛りだくさんで大変すり減ったのを覚えている.

11月

予備審査をなんとか終えた.
今思えば良く準備しきれたと思える.
当日は前日入りしたホテルで発表練習をしていたのを覚えている.

発表を終えたことで,ようやく自分の社会人博士の生活の先が見えた.
この次は,本審査と論文提出の2つだけである.
本審査は予備審査のブラッシュアップのようなものである.
論文提出は文字通り博士論文を提出することである.

予備審査のあとは,会社の研修発表があった.だが,予備審査と比べればなんてことはないと開き直れた.
何しろ発表時間がたかだか10分くらいだったのだから.

12月

この時期は業務以外の時間はほとんど博士論文で頭が一杯になっていた.
できたと思っても修正の返答が返ってくることには堪えた.
クリスマスに,年末年始というイベントにももはや動じなくなっていた.
晦日の有名なテレビ番組を見ながら博士論文を書いていたのはもはや一種の抵抗でもあった.
だが,一方で,やることはシンプルなのであとはどこまで完成度を高めるかだけであった.

1月

いよいよ博士論文を提出した.
修士論文のときは仲間と盛り上がった気もするのだが,これも社会人博士ならではか,
提出後は静かに立ち去った.
あれだけ悩み抜いて選択した社会人博士の活動がこれで区切りともなった瞬間である.
まだ本審査が残っていたので,スライド修正と発表練習もあったが,
不思議と気は晴れていた.

2月

本審査を終えた.
当然予備審査で受けた指摘のこともあるのでより覚悟を持って臨む必要があったが,
幸いにも当日1週間前に会社のリクルーター業務のついでに指導教員の先生方に発表練習を見てもらったのも大きい.
ご多忙の中大変ありがたかった.
私が今回の社会人博士をやりきれたのも,研究室の先生方のご指導があってこそである.

3月

いよいよ卒業式を迎えた.
これだけはなんとか業務を調整して参加することができた.
何とその1週間前にもまた海外出張があったのである.
流石に慣れたものであったが,卒業式とかぶらなくてよかった.
卒業式は親しくしていただいた先輩方と臨む事ができたのも良かった.
本来であれば,社会人としてではなく,学生として,1年,いや,3年在籍した上でこの日を迎えていたらなとも思った.
何しろ,大学院生だったという感慨がないのである.
この一年で大学に通った回数はせいぜい10回くらいである.
修士時代にいやというほど通ってきたとは言え,これでは感慨も薄れる.
せめて,土日に顔を出せるくらいの距離に住んでいればなと思っていた.

総評

まずは無事学位取得ができて心から良かったと言える.
業務へのしわ寄せも幸いなかったのが救いである.
当時の社会人博士としての活動はすべて有給休暇を使ってのものであった.
だが,悲しいかな,このせいでプライベートが犠牲になった,というのもなかった.
むしろ,修了後,今のほうが持て余している.
不思議でもないのだが,体力的には大変だったかもだが,精神的には最も充実した年であった.
むしろ,次の年,もっと言えば,昨年くらいのほうが社会人博士の時代よりも何倍も大変であった.
修士修了からたかだか1年くらいしか間がなかったが,社会人という過ごし方に悩まされたこともあり,
私自身のアイデンティティの確立に大きく貢献したイベントになった.
それが今の自分にプラスになっていないことがずっと心残りである.

振り返り

もう一回社会人博士をやるなどはないだろうが,こうすればもっと良かったと思えることを書き記す

  • 入学式,卒業式などの儀式はなるべく行くこと
  • 通う大学は通勤通学圏内が望ましい
  • 挑戦前に年間スケジュールを確認すること
  • 取得単位はためになるものもあるのでよく吟味すること
  • 自分が社会人博士に挑戦していることを応援してくれる友人がいれば相談すること
  • 進捗がなくても指導教員の先生とは定期的に連絡をとりあうこと
  • 学生でしか使えない制度を精一杯利用すること

【感想】博論日記

博論日記を読んだ.
こういう本があることを知るのは普通は難しい.書店で平積みされるような分野とは言えないし,メディアで紹介されることも多分ないだろう.
自分の場合はGoogleフィードのサジェストにこの本の紹介ページが出てきたので知った.
サジェストされるということは,そういう関連情報で検索したことがある,ということなのだろう.思い当たりはあるが,レコメンデーション技術の発展というものはなかなかに不気味でもある.

博士課程を題材にしたフィクション,エッセイというのは自分にとって初めてである.
たいてい,~教授とか,~博士とか,天才研究者とか,そういった知的な人のポジションがある程度の作品に欠かさずいるくらいで,実際に教授や博士になる人のストーリーというのはかなり珍しいのだろう.教授になりたいという人はまあ少ないとは思うが,医者や警察みたいな同様のストーリーは結構あるように見えるが,何が違うのだろうか.

とまあ,博士課程のあるあるが描かれたこの作品.漫画でもあるので,非常に読みやすい.
舞台がフランスなので日本との背景の違いがあるが,博士課程のあるあるというのは世界共通のようである.

印象的だったのは,はじめと終わり.
はじめ,主人公は博論のテーマをとても楽しそうに考えながら,博士課程への進学を進めている.この心境に共感できる人がどれくらいいるのだろうか.
少なくとも博士課程に進学までする人は,大体そうなのであろう.このはじめのピュアとも言える学術への情熱を博士課程なんて知らない人が見るとどう思うのだろうか.大体の人は,勉強頑張っているね,とかそういう反応なのだろうか.いいや,そうではないのだ,と自分は思う.
きっと誰にでもあったはずの、「面白いから調べている」.
そんなライフスタイルそのものなのではないかと思う.

社会人になってから,元来あったはずの,そういうスタイルがすり減ってきているのがわかる.
目の前の課題に明け暮れて,なんとか自分を保つことに精一杯な日々.
あのとき追いかけていた,面白さへの探求を思い起こしてくれる,大事な本となった.

読書メモ 語学の天才まで1億光年

久しぶりのホームラン級読書体験
興奮冷めやらないままに記録を書き残したくなるほどである。
久しぶりに買って2日足らずで読み切れたのである。
社会人生活もしばらくとなって気になった本を買うことには躊躇がなくなってきたものの
その分だけ本を読み切るということが難しくなってきた
何を持って本の面白さを定義するかは多種多様な主張があるだろうが
自分は本を読み切ったかどうかとその期間でシンプルに言えると考えている
かと言って
今積まれている、読み切れていない本が面白くないわけでは無論ない
今の自分に処方されなかった、というのも追加で前提条件があるのである
自分のレベルがまだ足りないのかもしれないし
逆に自分のレベルが上ってしまい、すでに新鮮味を失っていることもある

こういう読書体験ができるかどうかはまだまだ自分の中では運でしか引き寄せられていない
一つ興味深いのは今回読んだ本がKindleではなく紙の単行本ということである。
私は本を買うならKindle優先というスタンスである
何より置き場所に困らないからである
だが買う量は増えたものの読んだ量は比例していない気もする
それはスマートフォンで読むとついつい他のアプリの通知が気になったりと気が散るからである
充電が足りないということは最近の技術革新からかそこまで気にならないが
スマートフォンで読むと最近などは通知などなくてもアプリを切り替えてしまう
そのためKindle専用の端末を買ってみたが今持っている機種の性能からか少し動きがもっさりしてしまうところがある
Kindleの本を読むこと以外はできないのでスマートフォンよりもはかどるのは違いないのだが
まだまだ訓練が足りないのか結局スマートフォンを手に取ってしまうことになる

今回紙の単行本だったのはKindleにまだなっていなかったことが大きい
こういうケースではしばらくしたらKindle化するパターンを見たことがあるので
しばらく寝かしておくことも有益である
だが最近の私は少しでもワクワクしそうであればKindleでなくても買うことにしている
こういうワクワク感というのはかなり一過性の高いものである
ブームのような感情が過ぎ去ってしまえば経済的にも負担にならないので良いことなのだろうが
ここ最近の人生に飽いている私にとって刺激は重要な栄養分のため接種することにしている

この本が自分に刺さったところとしてはまさに単行本の帯にもあるような探検、青春を今欲してやまないからである
といっても著者のようなThe探検そのものがしたいということではない
だがなぜか惹かれてしまうのはなぜなのか
自分の人生にも比較的探検心あふれる大学院時代があったからかもしれない
著者のポリシーである「誰もいかないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」という精神は
本に一貫して現れ、そして、モチベーションとしてはっきり伝わってくる
そういうパッションが今の自分に足りなく、そして、欲しているものだと考えさせられた
そしてそれは、大学院時代にポリシーに掲げることはなかったもの、研究一般に通づる「誰もやらないこと」と同じである

自分の大学院時代は傍目から見ても異様なほどモチベーションにあふれていたと思われる
平日は欠かさず研究室に行くことはもちろん
夜ご飯を食べるために一度家に自炊しに行ってからまた研究室に戻る
さらに土日も気晴らしに出かけることを済ませたあとは夜研究室に行く生活を3年していた
自身が将来研究で身を立てたいとか
先生に言われてとかでは一切なかった
突き動かされていたのは「誰もやっていないこと」を形にしているということ

今考えても自身の研究が誰かの、世界の役にたつ、とはお世辞にも言えない
その課題を解消するにはもっと発展性のある方法はいくらでもあるし
それでないといけない理由を考えるほうが大変であった
だがかといって自分の研究がもっと発展性のある、いわゆる、誰かやっていそうなこと、に近いものだったら
ここまでモチベーションが保てたかは怪しい
ようやく自覚しつつあることで、自分は誰かがすでにやっていることや、自分でなくてもいいと思えるとやる気を無くす傾向がある

著書にもアイデンティティクライシス、として言及される場面がある
他の誰だって良いのではないか、俺は何者でもなかった、
そういう気分というのは個人的には一番つらいものである

会社の業務でもアイデンティティクライシスを感じることが増えてきた
もともと会社の業務、もとい、サラリーマンである以上は、逆に誰がやっても大丈夫なような仕事をするほうが評価される(はずだ)
だが、悲しいかな、あの人でないとできない、という属人性も、言い換えれば、やりがいとも表現できる場面が出てしまう
自分の場合では最近までそういう傾向のあるプロジェクトを担当していたことが一種のアイデンティティにもなっていた
なんとかプロジェクトをやりきるためには誰でもいいわけではなく自分でないと行けない
そういう評価も少なからず聞こえてきたのだ
これを会社の弱所と見るかは人によるだろうがそれも最近はなくなってきた
アイデンティティの確立には貢献したものの、当時は精神的も参ってしまうほどの業務量でもあったことから
それが軽減されたことは歓迎すべきことなのだが、
自分でなくてもいい、むしろ、他の人のほうがうまくできるのでは、という場面が増えてきていることに、
自分はもっと上手くならなきゃ、ではなく、他の人でやってほしいと不貞腐れている気もする

この本を通じて振り返れたことは
やはり根源的には自分は「誰もやっていないこと」に関心があること
そしてはその関心は今の環境では物足りないこと
である

社会人博士のすすめ

まずは勧めない

社会人になってから博士を目指すというのは,博士課程のいいところをかなり失っていると思う.自分が思う博士課程のいいところは,「腰を据えて研究ができること」「同じ志を持つ人たちと議論ができること」の2つである.
「腰を据えて研究ができること」というのは,博士後期課程を3年間過ごすことである.学部4年生から博士後期課程を目指すということがだいたい定まっていれば,研究室や研究テーマが変わらなければ,5年位は同じ分野を磨くことができる.これは,研究テーマを5年追いかける,というよりも,研究のやり方を訓練するにちょうどいい時間と思う.学部4年生で研究テーマを設定し,修士2年で修了する場合,研究がなんとなく進んでくる時期は決まって修士1年の後半になると思う.しかし,この時期は決まって就活が挟まるので,ほとんどの人は,学会や論文まで手が出ずに,研究のやり方を十分にこなすことができない.これを,博士後期課程に進むとすれば,研究テーマのノリの良いときに集中して学会や論文に注力できる.さらに,一回や二回こなしたくらいでは,こうすればよかったなと思う反省点を改善できる機会がまだ残っているのである.この繰り返しを人生の間に一回でも経験するのとしないのでは,かなり違うのではないかと思う.
会社でも前回の業務の反省をして,次に活かす場面は多いが,勝手がかなり変わったり,自分ひとりの力ではなんともしがたいことのほうが多く,結局実を結ばないことがあると思う.これが,博士課程では自分の力を着実に伸ばすことに投資できる.社会人博士は長く在学することが制度上はできることもあるが,二足のわらじにも限界がある.

お金について

内訳は受験料,入学金,授業料,交通費,宿泊費,移動費,製本代になる.
受験料:30,432
入学金:282,000
授業料:267,900×2 =535,800
宿泊費:約10,000×10=100,000
移動費:約16,000×10=160,000
製本代:64,881
合計:1,108,232円
移動費と宿泊費が痛かった.
もっと大学に近い立地で就職していれば,土日で日帰りで訪問することとかもできただろう.この年の賞与はほとんど博士課程費用で消えた.
また,社会人博士ということで,再度大学院に入学することになるので,入学金がまた必要になったことも負担である.修了してあんまりにも早く戻るのは損である.

製本について

・製本業者は下記の2つが利用されている
◆大学斡旋の業者
・サービスは業者によるが,母校ならではの割引や納期の設定ができたりする
◆エルビーエス(こちらを使った)
http://www.lbs-hs.co.jp/index.html
・納期:発送まで1週間くらい(通常)
・支払い:「クレジットカード」,「銀行振り込み」
・入稿:PDFで入稿可能
・製本料金+ページ数に応じた印刷料金
製本料金:3000~4000円/冊
印刷料金:8円/頁モノクロ,35円/頁カラー
(例,モノクロ100頁10部=4万円強くらい)
(例,カラー100頁10部=7万円強くらい)
・製本化するファイルをすべてPDFで結合して入稿する
初めて使ったが,意外と問題なく利用できた.印刷の出来栄えを比べたりはしていないので,いいものかどうかはわからないが,せっかくの自分の博論くらいはケチらずに製本しておいてよかった.

仕事の両立について

当人の業績によるところが大きい.
自分は,幸いにも業績はすでにあったため,後は必要分の単位取得と博士論文の執筆に集中できた.これが,これから業績を作っていく,となるとこなせる自信はない.また,研究テーマによるところもある.理論系か実験系でいえば,実験系は不利だと思う.学生時代は,いつでも試行錯誤ができる自由があったが,社会人ではそれができない.
単位取得は有給休暇を利用して,レポートやスライド作成,発表練習,博士論文は業務後や土日を使って意外となんとかなった.有給休暇は社会人博士で捧げられないと成り立たないと思う.そういう話を研究室の後輩にすると,結構ショックを受けたようであった.会社によっては,学位取得そのものが業務の一環になることがあるため,研究室訪問一つでも出張扱いになったりするらしい.

学位取得後

現状,人事制度に学位が反映されるわけでもないので,業務上にプラスはない.名刺に無理を言って博士(工学)とつけれたくらいである.海外出張の際の名前の登録でMr.からDr.にできることもあるが,まだ,恩恵に預かってはいない.もともと,何かを期待していたわけではないため,不満に思うことはないのだが,研究室のOBOG会でこういった話をすると,なんだか残念がられてしまうため,なんとか身になる振り方をしていきたいとは思っている.
けれども,学位取得にこだわらなくとも,インターネットの世界にはとても自分では技術や学術で追いつけなさそうな成果や活動をしている人がいくらでもいる.自分もそうなっていきたい.

反省

大学の施設,権利をもっと使いたかった

 図書館や研究室,書籍部…普通に考えればかなり便利な施設が一月に一回くらいしか使えないのはもったいない.また,学生ライセンスでAdobeアカウントが安くなったりしたけど,あんまり実感はなかった.博物館とかに学生料金で入る,位の恩恵を感じておけばよかった.

受けたかった授業を受けられなかった

 社会人博士出身の人によるキャリア話の講義が特にそうだった.
 社会人になると,座学というものが新鮮で,自分がまだまだ何も知らないものだと思う一方で,まだまだ面白いものがあると感じさせてくれる.

もっと参考文献を読んでおきたかった

 一旦は学生に戻ったので,普段は手に入れにくい論文をもっと手に入れればよかった.また,読んだ内容を自分のものにする訓練が足りなかった.論文を読む訓練というのは,学生時代の最終奥義とも言える気がする.あらゆる情報収集方法で,最も由緒正しく,健全な確認方法である.これは,今後も技術が発達していっても廃れないノウハウになると思う.さらに,論文を書く,ということをできるようにする訓練の場が大学なのだと思う.

参考