キイロイトリらぼ

ぬいぐるみと一緒に生きていきます

読書メモ 語学の天才まで1億光年

久しぶりのホームラン級読書体験
興奮冷めやらないままに記録を書き残したくなるほどである。
久しぶりに買って2日足らずで読み切れたのである。
社会人生活もしばらくとなって気になった本を買うことには躊躇がなくなってきたものの
その分だけ本を読み切るということが難しくなってきた
何を持って本の面白さを定義するかは多種多様な主張があるだろうが
自分は本を読み切ったかどうかとその期間でシンプルに言えると考えている
かと言って
今積まれている、読み切れていない本が面白くないわけでは無論ない
今の自分に処方されなかった、というのも追加で前提条件があるのである
自分のレベルがまだ足りないのかもしれないし
逆に自分のレベルが上ってしまい、すでに新鮮味を失っていることもある

こういう読書体験ができるかどうかはまだまだ自分の中では運でしか引き寄せられていない
一つ興味深いのは今回読んだ本がKindleではなく紙の単行本ということである。
私は本を買うならKindle優先というスタンスである
何より置き場所に困らないからである
だが買う量は増えたものの読んだ量は比例していない気もする
それはスマートフォンで読むとついつい他のアプリの通知が気になったりと気が散るからである
充電が足りないということは最近の技術革新からかそこまで気にならないが
スマートフォンで読むと最近などは通知などなくてもアプリを切り替えてしまう
そのためKindle専用の端末を買ってみたが今持っている機種の性能からか少し動きがもっさりしてしまうところがある
Kindleの本を読むこと以外はできないのでスマートフォンよりもはかどるのは違いないのだが
まだまだ訓練が足りないのか結局スマートフォンを手に取ってしまうことになる

今回紙の単行本だったのはKindleにまだなっていなかったことが大きい
こういうケースではしばらくしたらKindle化するパターンを見たことがあるので
しばらく寝かしておくことも有益である
だが最近の私は少しでもワクワクしそうであればKindleでなくても買うことにしている
こういうワクワク感というのはかなり一過性の高いものである
ブームのような感情が過ぎ去ってしまえば経済的にも負担にならないので良いことなのだろうが
ここ最近の人生に飽いている私にとって刺激は重要な栄養分のため接種することにしている

この本が自分に刺さったところとしてはまさに単行本の帯にもあるような探検、青春を今欲してやまないからである
といっても著者のようなThe探検そのものがしたいということではない
だがなぜか惹かれてしまうのはなぜなのか
自分の人生にも比較的探検心あふれる大学院時代があったからかもしれない
著者のポリシーである「誰もいかないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」という精神は
本に一貫して現れ、そして、モチベーションとしてはっきり伝わってくる
そういうパッションが今の自分に足りなく、そして、欲しているものだと考えさせられた
そしてそれは、大学院時代にポリシーに掲げることはなかったもの、研究一般に通づる「誰もやらないこと」と同じである

自分の大学院時代は傍目から見ても異様なほどモチベーションにあふれていたと思われる
平日は欠かさず研究室に行くことはもちろん
夜ご飯を食べるために一度家に自炊しに行ってからまた研究室に戻る
さらに土日も気晴らしに出かけることを済ませたあとは夜研究室に行く生活を3年していた
自身が将来研究で身を立てたいとか
先生に言われてとかでは一切なかった
突き動かされていたのは「誰もやっていないこと」を形にしているということ

今考えても自身の研究が誰かの、世界の役にたつ、とはお世辞にも言えない
その課題を解消するにはもっと発展性のある方法はいくらでもあるし
それでないといけない理由を考えるほうが大変であった
だがかといって自分の研究がもっと発展性のある、いわゆる、誰かやっていそうなこと、に近いものだったら
ここまでモチベーションが保てたかは怪しい
ようやく自覚しつつあることで、自分は誰かがすでにやっていることや、自分でなくてもいいと思えるとやる気を無くす傾向がある

著書にもアイデンティティクライシス、として言及される場面がある
他の誰だって良いのではないか、俺は何者でもなかった、
そういう気分というのは個人的には一番つらいものである

会社の業務でもアイデンティティクライシスを感じることが増えてきた
もともと会社の業務、もとい、サラリーマンである以上は、逆に誰がやっても大丈夫なような仕事をするほうが評価される(はずだ)
だが、悲しいかな、あの人でないとできない、という属人性も、言い換えれば、やりがいとも表現できる場面が出てしまう
自分の場合では最近までそういう傾向のあるプロジェクトを担当していたことが一種のアイデンティティにもなっていた
なんとかプロジェクトをやりきるためには誰でもいいわけではなく自分でないと行けない
そういう評価も少なからず聞こえてきたのだ
これを会社の弱所と見るかは人によるだろうがそれも最近はなくなってきた
アイデンティティの確立には貢献したものの、当時は精神的も参ってしまうほどの業務量でもあったことから
それが軽減されたことは歓迎すべきことなのだが、
自分でなくてもいい、むしろ、他の人のほうがうまくできるのでは、という場面が増えてきていることに、
自分はもっと上手くならなきゃ、ではなく、他の人でやってほしいと不貞腐れている気もする

この本を通じて振り返れたことは
やはり根源的には自分は「誰もやっていないこと」に関心があること
そしてはその関心は今の環境では物足りないこと
である