Kindle徘徊という趣味について
自分の数少ない趣味としてKindleの無料サンプルをひたすら送信するというのがある.
本屋で言うならば,本屋をウロウロ徘徊して,目に止まった本をパラパラとめくる.それを,電子書籍でしている.
楽しいと思ってしているわけではないが,パソコンやスマートフォンを手にとったとき無意識にkindleアプリやamazonサイトのkindleページに行ってしまう.無意識に習慣づいている行為こそ趣味と言うならば,趣味としたほうが収まりがいいかもしれない.
本屋でウロウロするのも好きである.
出不精な自分がとりあえず向かう目的地がデパートの中の本屋や駅前の本屋である.何かを求めているわけでもないが,なにか出会いを期待している,そんな気持ちである.
それは,過去に刺激的な出会いというものがあったから,こうして行動原理に結びついているのだと思う.
正確にあの本がそうだ,とか,残念ながら覚えていないのだが,ほぼ毎日同じラインナップを見ているはずなのに,今まで見えなかった本の背表紙やタイトルが自分に飛び込んでくることがある.逆に,話題になっている本を探しに行くとき,せっかく見つけても,パラパラめくっても刺さらないことがある.
こういうのは,よく薬の処方箋に例えられたりするようで,今の自分に足りない刺激を与えてほしいときの本,抑えられない不安だったりを沈めてくれる本,その時々の気分でいつもおなじに見える陳列棚が機能とは違うラインナップになるのだという.
刺激が満たされたあとは,アレだけ欲しかった本なんか見向きもしないし,何日かして気分がスッキリしたら,不安なんかどこか言ってしまったりする.
自分は学生時代,いや,今でも,何か勉強しないといけない分野があると,とりあえず,本屋に行って勉強している気分を感じ,結局,買ってしまったりもしていた.買うだけでも,自分はその知識を所有できる可能性がある,ということを自覚できるだけでも随分楽になるのである.
本屋に行けば,自分が今気にしていること,欲しているものがだいたい分かる.
逆に,本屋に行っても何も収穫がないな,と思ったら,今は他の何かで満たされていると思っている.
最近は,kindle徘徊の方が頻繁なためか,随分本屋でそういう収穫を得ることが少なくなった.
kindle徘徊のいいところは,無料サンプルを所有できることである.
本屋でもパラパラと立ち読みすることはできても,レンタルのように持って帰ることはできない.
kindleはデバイスにいくらでも気になった本をサンプルではあるが、所有することができる.これは,一瞬一瞬で気になっても,あとから冷めてみると,そうでもなかったりすることがあるので,意外と散財することにはつながらない.
一方で,サンプル止まりということも結構ある.無料サンプルを送信するのは、プレビュー画面の短い概要や目次だったり、レビュー欄で判断することが多いが、無料サンプルの範囲だけで自分に刺さることはあんまりない。いや、無限にも思える本の数の中からサンプルをダウンロードするだけでも結構な相性ではあるのだが。
kindle徘徊でできないことは,冒頭以外のページを見れないことである.意外と,中盤,終盤の一文が自分の欲しかった文章,フレーズ,物語であることもあるし,そういう瞬間こそ,自分の中では尊いものであると思っている.
本屋ではそれができる.パラパラと見たときに,筋書きとかまでは頭に入ることすらできないはずなのに,気になるところに出会うことがある.
それを初めから見てみたくなる,そういう衝動が本屋で起きることである.
自分は本の内容をあまり覚えていない.けれど,なぜか,そういう衝動一つ一つがいい思い出となって,今の自分が形成されていると信じている.
kindleでランダムな箇所が無料サンプルとして送信されるような設定は需要がないだろうか?