キイロイトリらぼ

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アフターコロナとアフター5

アフターコロナと社会人

コロナウイルスの影響で,家にいる時間はもちろん,仕事をする時間もどんどん削減されつつある.
今でこそ,暫定的な規制かもしれないが,これを機に,これまでなんとなくしてきたよくわからない仕事,慣習,体制が見直されることは間違いない.
事実,自分も半年前までは会社で過ごすことがほとんどで,土日はその休息に充てるしかない,という典型的な会社人間になっていたのだが,今や,定時後の時間の使い方を持て余してしまっている有様である.

自分ですらこうなので,多くの社会人は今,定時後や休日の過ごし方を再考しているだろう.
過ごし方は人それぞれあれど,自分としては,大学や大学院に通うという選択肢に興味がある.
下記のように,社会人でありながら,大学に通う人は少なからずいる.
blog.kentarok.org
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そして,自分もそうであった.
自分は2018年4月~2019年3月まで社会人博士として過ごした.
このときの過ごし方は別に記録したいが,ともかく,振り返って言えるのは,社会人でこそ勉強する,研究する,というのはとても楽しく感じられるということだ.

大学生はお客様

学生時代は,就職がゴールであることが多いので,仕方なく学位を取る姿勢になるのは当然だと思う.何せ,学生という身分はとても自由なのである.その時代で学業以外に興味のあることがあっても当然なのだ.
さらに,多くの人が忘れがちなのが,学生時代に大学に通うとき,費用はほとんど親負担である.奨学金を借りることはあっても,返すのは将来の自分なので,実質,自身が身を切っている感覚はない.大学側としては,学生はお金を払ってくれるお客様とも言えるので,お金さえ払っていれば学生としては学業をしようが,バイトをしようが,サークル活動をしようが自由なのである.

これは,言わば,テーマパークの年間パスポートを買って,アトラクションを目一杯楽しむ人もいれば,義務的に入退場を繰り返したり,レストランに入り浸ったりとしているようなものである.
大学がテーマパークと考える人も少ないかもしれないが,社会人になってみると,大学はとても知的好奇心にあふれるテーマパークと感じてくる.
充実した図書館,専門知識を持った先生の講義,個人では決して揃えられない実験機器,同じ志を持つ人とのアカデミックな議論...
研究活動によっては国内外に足を運べる.当時は必死になって英語の原稿を用意して発表練習をしたりと,あまり,楽しさを感じる余裕はなかったが,一個人のアイデアを世界の場でアピールできるというのは人生でも一回以上はないのであろうか.会社でも海外出張の機会はあるだろうが,自分のスタンスは会社の所属員である.自分がどう思おうが,会社の代表としての意見になる.あまり違いはないようにも思うが,会社での生活が長いと,一個人としてのアイデンティティが失われる気がするのだ.

大学と社会人

少子化が進む以上,大学も社会人を歓迎する流れになるだろう.
人気の学科はMBAとかだろうが,個人的には会社活動とは全く関係のない学科でもこの流れを取り入れていってほしい.自然科学や人文学,芸術,宗教など.
コロナウイルスは不要不急といって文化活動にも影響を与えてしまい,多くの人に文化は二の次という印象を与えてもいる気がする.しかし,アフターコロナがもたらすのは,さらなる高度医療社会であることは間違いない.すると,平均寿命は長くなるため,どう生きるかが問題になってくる.働いて過ごすことも推奨されるのだろうが,それも限界があるだろう.一個人が豊かに生きるには昔から文化活動がいいと決まっている.
人間の好奇心というのは非常に不思議なもので,知らないことを知ることが,明日も生きたいということに生存本能として結びつけているようで気が知れない.

アフターコロナでは大学にたくさん人を集めることは難しくなるだろうから,オンライン講義は一定数必要だろう.すると,肝心の研究室での議論とか,何気ない交流がなくなってしまう.
このあたりは,別のSNSみたいなサービスを待つほかないのだろう.